Liku Maria Takahashi
If Jonathan Livingston Seagull Were a Bird of Passage
2025 / インスタレーション、マリス技法 ( 砂, アクリル)、透明樹脂パネル / 2470×5650×3000 mm

想像は実現に繋がる
ジョナサン・リビングストン がもし渡り鳥ならばーonenessーの意識を実現するために
この世に光があるからこそ影は存在する。光と影はそれ自体がひとつのものである。すべての枠を超え陰陽を一体と認識することで、我々は地上を俯瞰する目を持つことが可能となる。
再び混乱が始まりかけている現実に直面した我々は、ひとりでも多くの人がより意識を高め、新たな方向性を持ち、世界のonenessに向けて羽ばたく必要が迫られている。
種を増やすことは人間の動物としての本能であるが、本能をいかに越えることができるか、それが今、求められている。真の意味で動物をより超越した存在に人類がならなくては人類の存続さえもできないところまで我々は追い詰められている。
それは人類存続の危機のみにとどまらず地球の危機と言える。
ほとんどの問題は増えすぎた人口に起因する。自然環境破壊、食糧危機、戦争、差別、貧困は、今だからこそ、ひとりひとりの人間が世界の群れの一員として自覚すべき問題である。個人主義を究極に追求するとそこにはすべての個人を大事にするonenessに辿り着く。
わたしが発明した全盲の人も一緒に見ることができるマリス技法は絵を砂で表現する。砂一粒ひとつぶに願いを込めて一枚の絵を作り上げる。今回のジョナサンは渡り鳥を表現した。渡り鳥は何日も眠らず目が見えない夜中さえも高い高度の空を群れで飛び約束の地に辿り着く。鳥目は夜の闇が見えない。しかし群れで飛び続けるからそれが可能となる。
渡り鳥が群れで遠く旅をして安心な地に辿り着くように、人類がひとつとなり、輝く未来に到着するために。
今回は、マリス技法で壁面に描いた黒い絵と対称となる白い絵をライブペインティングとして床の上に描く。絵は、空を身体は飛ばないくても、精神が飛翔する一羽のカモメ。
やり方は、床に置いた透明塩化ビニールの板の上に渡り鳥バージョンのジョナサン・リビングストンを一粒ずつの砂を置いて描いていく。
陰陽の同じサイズのそれぞれ1匹ずつのカモメを配置して描く。その2枚の絵がピッタリと合わせることもできる。地上の床面に描くのは擬人化されたカモメである。この2対の絵を描くことで、onenessを表現する
